2007.06.07
井の中の蛙
数年来、韓国への渡航を繰り返し、他方でハングルを読めていると
方々からこういう声を聞く。
「ippeichanさんは、韓国文化が好きなんですね」と。
半分YESで、半分NOが答え。
んなもん、0か1で回答できるようなもんでもない。
中でも僕が韓国における最近の人々の行動でムシすかんとこがある。
自画自賛的なとこだ。
中でも最も自画自賛なのは、「ハングルは すごい!」と言うとこだ。
実は最近僕の周りでこの韓国人の自画自賛的性格に辟易としている
日本人が少なくない。全く同感である。
彼らの論理は、こうだ。
○ハングルは、世界で唯一発明した人間の歴史が刻まれている。
○どんな人間にもわかりやすく、効率のよい文字である。
○その文字だけで、すべてを表現できる韓国民は優秀だ。
○そんな優秀な文化をなぜわからない人が多いのだろう?
っつうとこか。
歴史を知らない人のために解説すると…
朝鮮語(韓国語)を表記するための表音文字であるハングルは
1446年に李氏朝鮮第四代国王である世宗が、「訓民正音」の中で公布した
世界で唯一、歴史が明確にわかっている文字。
なのです。
ほう!と思う一方で、こういう風にも考えることができます。
15世紀になっても、いまだ識字率が十分でなく、かつ蒙古人に半島全土を
占領されズタズタになった李氏朝鮮において、漢字の勉強ができず、
それに代替するような文字等もないため、遅ればせながら仕方なくできた文字。
という風に。
このおよそ5世紀ほど前に、日本には仮名文字があったわけですから。
ハングルは誰にでもわかるように考え出された天才的な文字…
というのは、裏返すと「どんな人でもわかるような字でなければならなかった」
だけでして、ゆえに世界のどの国民も文字とみなさなかった、○や□といった
「記号」を「文字」にしたわけです。ハングルって。
ヨーロッパの言語は半分以上がラテン語をベースに成り立っている。
ということは、さまざまな言語があろうとも、ベースが似ているので
なんとなく理解し合える。フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語
すべてラテン語文化圏である。
日本人が中国人と「筆談で会話できる」のもアジア漢字文化圏の
ありがたい賜物である。言葉自体に「意味」がある「表意文字」を使って
コミュニケーションができるのは、世界で見てもこの文化圏だけである。
にもかかわらず。
韓国人はハングルに対する、自画自賛的思考が前面に出すぎ、かつ
漢字や中国文化への拒絶反応が裏目に出て、自らアジア漢字文化圏を
離脱し、その理解可能性を破壊した…とも考えられるわけです。
ハングルが、同パケット量に対し、最も音声を運べるという利便性があると
今の韓国人は誇らしげに言いますが、それは「結果論」です。
世宗大王がSMSやパケット通信を見越して15世紀にハングルを発明した
わけじゃないでしょ、だって。
なぜここまで僕がボロカスに言うか?
それはかつてハングルを勉強し、ハングルで表記しながらも
その中に実は漢字熟語がめちゃくちゃ多いことに、疑問と苛立ちを
感じたからです。彼らは感情論から漢字の学習を怠っているだけです。
今の韓国での教育は少しずつそこに気づいていますが、残念ながら
韓国のインフラはすでに漢字変換を用意しないまま発展してしまっています。
深く深くその世界を知れば知るほど、井の中の蛙の存在に気づくものです。
でもこのような一事象は、実は自分たちの生活への反省も同時に
促してくれるものです。つまり他人の批判ばかりをしてはいけない…と。
何が言いたいのか?
さっきの自画自賛文の「ハングル」という表記を
いろいろ換えてみればわかることです。
● ○○○はすごい。
● ○○○は、こんなに優秀。他にこんなのは無い。
● ○○○をなぜ理解しない人が多いのだろう??
「○○○」にはこんな言葉が入りませんか?
料理における「関西風」とか。
土地における「京都」とか。
祭りにおける「博多祇園山笠」とか。
場合によっては…勝手に正義の味方を威張り腐る
外交における「アメリカ」とか。。。
どれも結局は井の中の蛙なのです。視野が狭い田舎モノなのです。
博多とか九州とか福岡とか…そんなとこありませんか?
僕は自分自身にもそんな視野狭窄なところがあるのでは?と
常々反省しきりです。
他人(ひと)の振り見て我が振り直せとは、このことかもしれません。
自省の意味をこめて、
今日はあえて「韓国人の1行動批判」をしてみましたm(_ _)m